イギリスのヴィッキー・ウォール女史は、その時すでに60歳を超えていました。彼女は、薬剤師とサージカルキロポディストとして、長年人々をケアすることに尽力していましたが、視力障害が進んだこともあり、引退して、ゆったりとした日々を過ごしていたのです。
1983年前半、それは不思議なかたちでやって来ました。
彼女の毎夜の習慣の瞑想中におこったことが、すべての始まりでした。
ふいにヴィッキー女史は、美しい、めくるめく色彩の滝に飲み込まれ、光と波の満ち引きの中にいたのです。それは新しいエネルギーと安らかさに満たされて、彼女は優しく抱きとめられていました。内なる小さな声が話しかけてきます。「行って水を分けなさい、わが子よ」何のことか分からず当惑する夜が、翌日も、その翌日も続きました。
とうとう3日目の夜、彼女はベッドから起き上がり、薬剤師をしていた小さなラボに向かいました。
植物やハーブからのエッセンシャルオイルと抽出液、クリスタルと宝石のエネルギー、そして誰かからもらってあったチャリスの井戸の水を使って、何か分からないものを創ったのです。
朝がやって来ました。
太陽光の中で輝く美しい液体。透明のボトルを通して、はっきりと二層に分かれています。彼女の頭には幸せなエネルギーとともに『バランス』という概念が浮かびました。イクイリブリアム(平衡)ボトルの名前がついた瞬間です!
ですが、まだこれが何なのかは分かりません。
イクイリブリアムが世の中に出て、知られるようになるのは、もう1つの不思議なストーリーからです。
ボトルが誕生して間もない頃、ある展示会の出品棚の支えに、このボトルを使ったのです。イクイリブリアムが何なのか分かっておらず、たまたまのことでした。
ところが、支えに置いていたボトルを購入したいという人が現れて、結局、支えの6本全て売れてしまいました。
そして、なんと、それ以降もそれを欲しがる人が増える一方で、2週間で140本も買われていったのです。
そして、それ以降、それは終わることはありませんでした。
購入者が後を絶たずに現れる途中段階で、何かしらの傾向があることに気づき、ボトルの使用者の状況や経験、変化などを使用者から聞き、調査と記録が始まりました。
こうして、イクイリブリアムの知識を研究し、積み重ねていったのです。
そして、イクイリブリアムは、魂の鏡であるという理解に至ったのです。
ボトルを選んだ人の真の色に光を当て、変容のための、全体の調和のためのツールであったのです。