スピリチュアルの方向性ー私編ー☆

こんにちは☆
ブログ更新が久しぶりになりました。早咲きの桜が咲き始め季節の移り変わりを感じています。

さて数日前から読んでいた本を夕方読み終えました。
読んでいたのは、辻 麻里子さん著『藍の書』です。読み方は『アイノショ』と読みます。
辻 麻里子さんを知ったのは昨年です。何かの単語だったか言葉だったかを調べていた時に、たまたま知りました。
最初に『22を超えてゆけ』を読み、共感する部分多いことや知りたかったことが書いてあり、他の作品『6と7の架け橋 22を超えてゆけⅡ』『宇宙の羅針盤 22を超えてゆけⅢ』『宇宙時計』『数字のメソッド』『魂の夜明け』そして『藍の書』を購入しました。
実は、『宇宙の羅針盤 下巻』を読んでいる途中でカラフルゲートを立ち上げる流れになり、一時期読むのが止まってました。読んでないのは『宇宙の羅針盤 下巻』の途中からと、『藍の書』。
この本たちを購入した時、一番楽しみだったのが『宇宙時計』と『藍の書』でした。
『宇宙時計』はすぐさま読んだのですが、『藍の書』は辻さんの遺作なので、最後に読もうと思い残していたのです。
数日前、どうしてもどうしても読みたくなり、とうとう手にして読み始めてしまいました。
私の場合、辻さんの本を読むには集中力が必要です。辻さんが、すごく噛み砕いて分かりやすく書いてくださってるのが伝わるのですが、1冊の中の情報量がものすごく多いと思います。
今日、出版社の社長さんが書かれた『藍の書』の後書きを読み、なぜ1冊にあんなに情報が詰まっているのかが少し分かったような一節がありました。22シリーズは、7冊で出したいと言うのが、辻さんの希望だったそうです。ですが出版にあたり3冊に変更されたそうです。それでも3冊目は上下作になったとか。 そうなんだ。。と妙に納得しました。
因みに『藍の書』は旅行記的にも楽しく読めます。全作品を通してスピリチュアル性が高いので、その辺り気にならなければ^_^

因みに共感する部分とは、辻さんの足の爪の先にも及びませんが、私も子供の頃から、夢でいろいろ知ることが多いからです。そして宇宙や精神世界…と書けば良いのか?スピリチュアル?神秘界?なんと書けば良いのか^^;、それに対しての方向性が同じだからです。
『時』というものは存在しないと思っています。。。これは思い出したのですが。
変わった子供扱いをされていた幼少期から子供時代の私は、この世界について行くためにいろいろと変化したのだったと思い出したのです。なぜ、忘れてしまっていたのか?

そしてこれは本とは関係無く、私が思っていることですが。
まずカルマは過去世の何かの代償だったり償いではないと思ってます。罰や過ち的な考え方は、とても人間的です。敢えて言うなら、大きな流れの本流があり、少しそれた流れ、支流があるとします。そしていつか本流に繋がります。その支流がカルマではないかと考えています。
私たちは宇宙全体の意識の一部であり、本流の中で流れながらいろいろな実体験をして全体に溶けたり一部になったりを繰り返しているんじゃないかな、と。そしてたまに少し角度を変えた流れも有りで、それが私たちがカルマと呼んでいるものだと思っています。
カルマに対してのみ、オーラソーマの中でのカルマと少し考え方にズレがあるかもしれないなと思いますが、【『今ここ』に集中する心。個は個のためでもあり、同時に集合体(家族・集団・国・民族・人類・地球・宇宙)に影響している。】の考え方が同じで、そこがキーポイントだと思っているので、自分の中では結果オーライ!になっています。

スピリチュアルなことには常に警戒心を持っていますが、それはスピリチュアルを信じ、それが当たり前だと生まれつき思っているからです。
空気のように私たちと共にあるのが精神世界、だけど実際に3次元のこの世でリアルに体験するためにここに居るのだから、先ずは誰にでも通じる会話、生活をしていきたいと思っているのです。
だけど、科学と神秘はコインの表裏のようであり、水鏡に映る景色と景色のようでもあり、夢の蝶はどちらなのか…のようでもあり、切り離して考えない方が、実は分かりやすいのかもしれません。
そして、不確かなことも確かだと信じられていることも、何もかも、、あと何十年かすれば、肉体に感謝を持って別れを告げ、意識が軽く鮮明になれば、何もかもハッキリと思い出すでしょう。
その時を楽しみにしているのです。
だから全部は思い出さなくていいし、それより『今』を楽しみたいのです!!
けど、不思議な世界との縁は細く長く続いているようです。好きですしね^_−☆

私が23の時に見た夢で不思議だけど、妙に納得した夢が2回ありました。
ひとつは、シルバー・バーチ霊訓を読んだばかりの時。夢でですが、いろいろ答えてもらいました。
もうひとつは、真っ白な霧のような、雲のような、ドライアイスのようなところに複数人の大きな人?が、丸く向き合って立ち話をしていたのです。みんなすごく大きくて真っ白な布をかぶったような格好をしてモサモサな長い真っ白な髪でした。
その真ん中に私がうずくまって話を聞いていたのです。なんでうずくまっているのかは分かりません。別に苦しいとか怖いとかではありませんでした。そして一人の大きなお爺さんのような人?にたくさん質問をしました。すべてを答えてもらい、物凄く納得して満足でした。ですが、目が覚めるとここで聞いた話は全て忘れる事、今の私には不要であること、もう一つ、『私がどんなに真実を言っても誰も信じてくれない。それが真実であればあるほど。』とも言われました。私がショックを受けていると…薄れゆく映像の中で、お爺さんは『それを変えていくのも自分次第だ…』と言ったような気がします。
誰も信じてくれない。。。こちらの言葉の方が印象に残り、私はスピリチュアルな話をするのを最近までやめていたのです。信じてもらえない状況が恐かったから。そして最後の言葉は、自分が自分のために創作した映像かもしれない…と思ったから。。
でも、今はそんなこと気にしなくてもいいかもなって思ってます。

さて、今日は私のスピリチュアルに対しての方向性をお話しさせていただきました。
夢の話もまたしようかなぁとも思ったりしてます。
今日の散歩は。。。これくらいで。。。。またご一緒しましょう☆

ピンクコーラルの鳥
ピンクコーラル鳥




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